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りょうじのブログ

田中 亮司 Ryoji Tanaka
Memorial

 令和4年8月21日 27歳の誕生日を前に突然この世を去った君。普段の会話も少なくいつも気になっていたが、昼夜の食事に顔を見て安心。まさか、こんなことになるなんて。悲しく、悔しく心をえぐられる毎日。

 親不孝者。これから一緒にと考えていた矢先なのに。

 しかし、亡くなった後の君の表情はなにか大役を果たしたような穏やかで安らか。これまで随分苦しんでいたんだな。死ななくてもよかったじゃないか。何故、苦しいと言ってくれなかったのか。言えなかったのか。

 まるで眠っているよう。時折、笑顔のような表情も見せてくれる。悲しみに暮れる家族の癒しとなった。そんな姿に「もう起きておいで」と声をかける母や祖母の姿が悲しい。

 通夜にも多くの友人が来てくれた。中には随分遠くから、そして、私たちの知らなかった君の姿や話などたくさん聴かせていただきました。SNSでは大学の先輩や仲間などからも。ありがとうございます。壊れそうではち切れそうな心を随分癒されました。重ねてお礼を申し上げます。

 その中で皆さんから可愛がられ信頼されていたことに感謝。少し驚いたのは、人の悩みを聴いたりしていたこと。自分の悩みも随分大きかったくせに、娘に言うと彼は人の助けをすることで気持ちを整えていたんだと、そうだったんだと今更ながら。

​ 初七日の法要を終え和尚さんから、今、仏様となるための旅の途中だと。親としては無事仏様になってもらうことが最後の役目。毎日祭壇に手を合わせ一緒に休んでいます。写真に向かって話しかけても返事はない。

 祖母は、お前は料理が上手だったがもう食べることが出来ないと嘆く。孫が可愛さゆえの言葉だろうが本当に味付けが上手だった。また、「まるであの世に行ったことを失敗したような顔している」と顔を覆い、亡くなったおじいさんが亮司を先に迎えにきたと泣いている。

 49日を迎え君が無事、成仏したあとは、私たちは命尽きるまで君のことを想い出し仏壇に花を飾り慙愧の念に苛まれるのだろうと。娘が誰が悪いとかはやめようと言ってくれるのも救いだが苛まれるのは仕方ない。しかし、考えてみると。。うん?これは不公平だ。普通は子が親を送ることが通常だ。

 苛まれ続けると私たちの心が持たない。ということで、このサイトを立ち上げました。今後、皆さんに応援していただけたら嬉しく思いますし、もっと君のことを知るために。

           

           令和4年8月30日 亮司の父から皆さまへ  

 

 

 

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​浜村海岸から日の出 亮司撮影

Ryouji Tanaka  Memorial

​26年間

亮司写真集

​おーい りょうじ

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言えなかった。一緒にしたかった。

​   無理するな。父が欲しかったバイクが来たが一度も乗ることがなかった。最近苛立つ姿が見られたが気遣いすぎ遠慮して声をかけることができなかった。

                        「死にたい感情、異常ではない」こころの悩みSOS 9/1(木) 18:01

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